2018/10/01 (月)
先日、無名塾によるチェーホフの『かもめ』を観劇する機会がありました。
田舎の湖畔にある一軒の屋敷で繰り広げられる100年前の群像劇ですが、誰もが望むものを手に入れられないまま、またはそれが何かを理解できないまま、人と交わり、それなりの執着をもちながら時を消費し、よって引き起こされる現実に翻弄される様子を描いた作品です(と思います)。
たくさんの登場人物の誰もがその思いを成就できず、納得もしてない。そのエネルギーを原動力として生きるものだから、現実に翻弄されているようで、その実、自分自身に翻弄されているばかり。その思い込みとこだわりといったら。
ばかばかしくておかしくて 情けなくって哀しくて 無垢と計らいがかわるがわるに顔をのぞかせて どうしようもなく軽いのに重くて
なんだか言葉に言い表せません。でもそんな混然としたふるまいのひとつひとつが、自分自身の日々を覗くようでもあり、泣き笑っちゃうしかありませんでした。
わたしたちは、自身の思い込みのなかからなかなか出られない。
でも、少し視点を上げて、少し遠くを見て、自分自身とさえも少し距離をとってみると、その思い込みも少しは設定変更できるんじゃないかな、とそんな希望をもちます。フランスの哲学者アランは著書『幸福論』のなかで、「行き詰まったら少し遠くを見なさい」と説いていますが、そうすることで見えてくるものにもっと馴染みをもちたい、そんなふうに思います。
素敵な思い込みで良い魔法を自分に掛けてあげたいものです。